nozayasu

仕事全般/マネージメントで考えたこと

CROSS2016にいって、組織について一日考えてきた話

CROSS2016とは

2016.cross-party.com

Webエンジニアとその付近の人1,000人集合! 国内最大級のWeb系勉強会 通算5回目となる「エンジニアサポートCROSS 2016」は、 Webテクノロジーに関わる人たちが「Webの未来」を語る勉強会です

なんで参加したの?

同僚に紹介してもらったのがきっかけで、今回初めて参加してきました。僕自身はWebテクノロジーより、チームや組織作り方が興味があって、 あまりテクノロジーを聞きにいった感じではなかったです。

率直に言って、とても満足しました。
著名な方々の話だからという理由ではなく、内容が有意義だと感じれたことに満足感を得たのだと思います。

参加したセッション毎の内容と雑感

エンジニアとしてどう働きたいか?経営者としてどう働いてもらいたいか?労使の本音バトル!

概要

経営者も労働者も根本では同じ目的・目標をもっていて、それを達成するために会社という組織を作っているけれどお互いの考えが折り合わず、対立する構造になりがちだけどそれってなんでなの?という内容でした。

仕事に対する両者の思想

労働者側(エンジニア)

基本的には楽しく働きたい
エンジニアからみた楽しくって何?

エンジニアリングを突き詰めたい
モダンなシステム検討を継続的にする
理想論的なシステム作りに挑戦する

経営者側

基本的には楽しく働きたい、働いてほしい
経営者側からみた楽しくって何?

ステークホルダー、経営者、社員、顧客全ての関係者が満たされる状態
お金や、仕事、発言に対して責任をもつ
全体最適に気を配る
価値があることを実行していく

なにが対立してるの?

責任に対する意識の違いとそこからくる相手に見える不満

:製品に責任を持ちたいから時間をかけてでも良いもの提供したいのに、期日達成に対する要求が強すぎるように見える。

:仕事を完了することへの責任を常に持っているので、理想論を追い求めすぎることは自分本位な働きかたをしているように見える。

一歩引いて考えてみると?

:個々人のタスクが全体としてどういう位置づけで、目的と納得感を保てる形で落とし込んでもらうと理解が進む。

:サービスは実際作ってみてわかることも多いから、ある程度納期や品質という責任について妥協できるポイントもある。

歩みよるにはどうしていくのがいい?

お互いを知る為の時間が足りてない、対話の時間を増やすことが必要。

雑感

全体としてはよくある話だなと感じました。経営層だからとかはあんまり関係なくて、他者を知るために対話の時間は必要だよね?という落としどころだったかなと解釈しました。
もう少し時間があったら、その先のどう対話の時間を確保するか?単純に確保したら解決できそうなのか?みたいなところも聞きたかった。

次に個人的に腑に落ちない点を少々

製品が売れるかどうかは正直興味があまりないとおっしゃってた方がいたけれど、僕個人としては理解できない。もし売れないってことになったとしたら、自分が作ったものに価値がないと言うことになると思っています。

端的な話にしてしまうと製品に価値がないかもしれないけど、エンジアリングを突き詰められたら楽しいよと言うことに捉えられる意見だった。

それって本当にエンジアリングを考えているだろうか?挑戦してるということの有能感があるだけじゃないだろうか?

モダンなシステムを取り入れたいのはなぜか、エンジニアリングを突き詰めたいのはなぜか。それをすることで提供できる価値の幅が広がるとイメージできるからであってほしい。なぜ、エンジニアリングを突き詰める必要性があるのか、その意義を考えていけるようにしたいと改めて思った。

最近一般化してきたCIが必要な理由とか、色々な作業の自動化を促進することの本質はシステム化できるところを徹底して、その分空いた時間をもっと価値を提供するための作業にあてようってことだと思っています。

ビジネスを考えた結果、モダンなシステムにしていく必要があると提案できるようにありたい。

CTOが現場に言えない本音

概要

評価・採用・育成といったCTOが、日々業務範囲にしていることの裏側ではこんなことを思っているよという内容でした。

評価について

軸は大きく二つあって、成果と成長。
成果と成長で分けて良し悪しを伝えるようにしている。
成果だけだと点でしかない。成長は積み重ねとしてキャリアをどう伸ばせたかをみる。

成果

目標に対する達成度、事前期待値に対する達成度を個人ごとに絶対評価としてみる。

成長

新しい技術という観点では、取り組んでいるかではなく使いこなしているか。理解度はどれくらいに変わったか、業務に使えるイメージができるのか。
個人の成長が会社の成長とも方向が合っているか、会社として評価できない成長もある。
個人だけで完結してどう頑張ったかよりも、外に向けてどれだけ影響を与えたかの方が評価として判断しやすい。

採用について

技術云々はもちろんあるが、一番重要なのは勉強する意欲がある人かどうか。
採用は素質、評価は成果でみることが多い。
自分が働きたいと思える人かどうか。
働きたい人とは自分よりなにかすごいと思う部分がある人。人間として興味がわく人。
地頭の良し悪しは、何かの説明してもらって説得することをができるかを見ていたりする。

CTOってなに?

単なる役割でしかないと思っている。

どんなことを意識しているのか?

エンジニアのブランディング

露出をいかにつくり、外への影響を与える機会を増やし、組織としてそれをどう支えられるかを考えて、実行すること求められてると感じる。

ビジネス面も考えるからこそ、価値提供のスピードをあげるためにエンジニアリングはなにができるのか?組織のパフォーマンスをどうやって維持できるのか?ということを意識している。

雑感

中身の濃い刺激を受けるセッションでした。書きたいこといっぱいあるけど、オフレコにしてくれってとこも多かったのでつらいw

評価とか採用はそんな風に考えてるのかーってくらいで、CTO像の部分が面白いと感じました。

最近GMOペパボCTOのあんちぽちゃんさんの話でも似たようなこと思いを持った。世のCTOは技術からみた経営戦略の策定・実行だけじゃなくて、組織として個々人が成長を感じれるには何ができるのか?その環境を用意するためにどう実行していくかを考えてるんだなと。

個人的にどうやって変化に強い組織を作っていくかにすごく興味を持っているけど、どうやって成長を感じれるようにしていくか?の視点からの話はやっぱり勉強になりました。
自分の成長を考える時も、組織での成長視点をいれて考えるのも良いなと思いました。

先達に聞くこれからのエンジニア像 2016

概要

いかにして人を巻き込み、組織を作りあげるのかという内容でした。

リーダー像とは?

人員・資金・権限といった多様な制限がある環境で、想像力で解を求める人。
普通に考えると解決する見込みがないなかで、それでもどう解決するかを考える人。
大きな旗を降りかざして、人を巻き込んで実現する人。

10倍の成果を得るためには?

そもそも一人の時にあげていた成果を10倍にするためには、人を巻き込まないと達成できない。
人を継続的に巻き込んでいく方法を考える。
いかに動機付けできるかが大事で、他者がこれをやりたいと言わせるように個々人の状況を作ってあげる。
自分の口で言うことは、モチベーションを持って取り組むことに繋がる。
メンバーを巻き込んで、考える頭を増やしていくことで成果に繋げる。

巻き込むために何をしていくのか?

思想を伝えきるために、発言力と影響力を高めるために、信頼を勝ち得るための努力をする。 組織として世界観をプロダクトに持てるよう思想を共有する。
ゴールを意識し続けるために、細かいコミュニケーションを継続的にやる。

組織を継続していく上での気をつけることは?

プロダクトから何を削っていいか?何を足していいか?を判断するため、皆を同じ意識を保てるようにする。
失敗を叱る組織は、失敗しないように動く組織になっていくので、叱るのではなくどう改善するかを常に考えていく。
自由度を優先してリスクが伴うような場合には、その分綿密にリカバリー方法を考える。
メンバーに苦手意識がある場合は、正直に苦手なことを伝えて仕事上だけでも上手くやれる方法がないかを話し合うようにする。
役職や職種を越えて全てが一つのチームとして考えて、俯瞰した見方に近づける。
モチベーションが高い人を増やす努力と同じくらい、モチベーションが低い人が他者に悪影響とならないように配慮する。

その他参考になった話し

勉強会やカンファレンスでは質問をしようと思って聞くと理解度が増す。
ロールモデルを持つことは、自分がどのようなキャリアパスを進みたいかを考える助けとなる。

雑感

特に感じたことが二つあって、一つは信頼を勝ち取るために努力をすること。
丁寧に仕事をすること、丁寧に人と接していくことを改めて意識しようと考える良いきっかけとなりました。

もう一つは最近仕事における動機付けを自分でも考察したこともあって、やりたいと言わせるように状況を作ってあげるって言葉がとても考えさせられました。

組織として同じ想いをどうやって共有し続けていくか、そのために僕は末端タスクこそ丁寧に情報を詰め込むべきと考えています。会社として、事業として、チームとして、色んな粒度があるけれど、個人として組織や事業と接点となるのは日々のタスクだから。接点となる部分こそ手を抜かないで、上流からの想いをイメージできるだけの情報を落とし込みたい。イメージできることが個人レベルの動機付けに良い影響を与えるのでは?と考えているからです。

考えさせられることが多く、一番心に響いたセッションでした。

終わりに

組織作りのセッションがこんなにも多くあることは少し驚きでした。
良いプロダクトを作っていくための組織作り、興味はこれからも続きそうです。
社内外問わず、考えたり想いをぶつける機会を増やしていけたらいいな。

おわり。

仕事の納得感とは?

仕事の納得感はどんな時に得られるでしょうか?

行動の選択権があり、意志が尊重され、行動を決断できるだけの情報を引き出せる時に、納得感というものが得られるのではないかと考えています。

自分の例をあげながら、なぜそう考えたのかを整理していきます。

現在、10名規模の会社で仕事をしています。
この内容はマネージメントする立場からではなく、マネージメントされる立場から考えたものです。

この作業は誰かに価値を与えるのだろうか?
この作業は今やる必要があるのだろうか?

僕は作業の価値や必要性を想像できない場合に、不安を感じることが多いです。

他者からの指示や依頼に対して、常に共感して不安を抱かない。これは理想ではありますが、おそらく実現させることは難しいのでしょう。

であれば不安はある程度存在することを受け入れ、それをいかに取り除くか?という方向で、自分を保ちたいと考えるようになりました。 作業の価値や必要性を想像できないという不安を和らげるためには、「なぜやるのか?をもっと理解したいです。教えてもらえないでしょうか?」と意志を表明します。

ここで大事だと思っていることは、なぜの部分を深く理解できることだけではありません。

  • 意志表明が行動の選択肢として認められている
  • 個人が尊重されて健全なフィードバックが返ってくる
  • 決断に至るまでの適切な情報が開示される

この3つが満たされることで、自分の意志で行動を決定した感覚に繋がることが大事だと考えています。

実際には、依頼者が受託者の行動を決定していることには変わりない。ではなぜ自己決定感が高まると納得感に寄与するのか?という点を探っていきましょう。

納得感の定義づけ

納得感と言って話を進めた時に、人によって受け取り方が違うと思います。
そこで、まず自分のなかにおける納得感の定義を行います。

納得感がある状態というのは、自分の動機づけの1要素と捉えています。 今回は納得感を、動機づけの観点からみていきます。

動機づけとはなにか?

まずはそもそも動機づけとはなにか?という概念の部分をざっくりと把握してみたいと思います。

動機づけ(どうきづけ、motivation、モチベーション)とは、行動を始発させ、目標に向かって維持・調整する過程・機能である。

wikipedia より引用

動機付けを大きく分けると「外発的動機づけ」と「内発的動機づけ」という2つのタイプに分類されています。

内発的動機づけとは好奇心や関心によってもたらされる動機づけであり、賞罰に依存しない行動である。
 
外発的動機づけとは義務、賞罰、強制などによってもたらされる動機づけである。

wikipedia より引用

内発的動機づけと外発的動機づけの主な違いは、活動の質や継続性への影響度合いと言われています。

内発的動機づけによる活動は、外発的動機づけによる活動よりも、楽しく、質が高く、持続すると言われています。 たとえば、試験のために(外発的に動機づけられて)勉強しているときには、試験が終われば、勉強しなくなるでしょう。試験のためだけに勉強したことは、試験が終われば、忘れてしまいます。

内発的動機づけとは(こころの散歩道) より引用

内発的動機づけに寄与する要素はなにか?

 まず、内発的な動機づけを支えているものがある。それは、「自己決定感」「有能感」「他者受容感」という3つの要素だ。自己決定感とは「自分のことは自分で決めている」という気持ちであり、有能感とは「自分なら頑張ればできる」という本人の気持ちである。他者受容感とは「自分は周りの大切な人から受容されている」という気持ちである。この3つの要素が自ら学ぶ意欲をもたらし、楽しさや満足感が生まれる

本当の「やる気」はどこから生まれるのか?(Part.2) | コラム-TMW CONSULTANT EYE | トッパンマインドウェルネス より引用

これらの動機づけの概念を踏まえ、自分の仕事に納得感のある状態とはなにか?を考えてみます。

自分の仕事に納得感のある状態

内発的動機によって仕事をしている状態であると考えています。

さらに掘り下げて、仕事における内発的動機の元になるものはなにか?

自分で意思決定して行動(作業)していることであると捉えています。

これを満たしていることが、納得感に寄与するのだと解釈しました。

しかし仕事や組織において、皆が自由に作業を決定できるとは限りません。それぞれが自由に決定することができない時点で、全員の100%を満たすことは無理なのでしょう。

では、100%に近づけるためにはなにができるでしょうか?

自己決定感をどう満たすのか?

自分の仮説を話していきます。

人の行動には目的が存在します、それが前述した行動の動機付けになるからです。

自分自身で行動を決定する際には、目的である「なぜやる必要があるか?」「やることにどんな価値があるか?」を無意識に考えているのではないかと僕は考えています。

これを自己決定のプロセスだと仮定すると、他者が自分の行動を決定する際にも、自己決定と同等なプロセスを持たせられれば、自己決定感を高められるのではないか?という仮説を持つことができます。

仮定とそこからくる仮説を元にすると、他者に行動を指示・依頼した際に、対象となる実行者の納得感を保つためには、目的である「なぜやろうと思ったのか?」「どんな価値があると思ったのか?」指示者目線の決断に至った経緯の情報を伝えることが、重要な要素であると考えられます。

とはいえ常に頭のなかを見せれるわけではないので、完璧に決断に至った経緯の情報を伝えることは難しいです。

伝え切りたいけど伝えきれないものでもあると受け止め、他者が違和感を覚えて言葉にしたという行動を尊重する。

違和感をなくすためならば、何度でも伝えるよという姿勢を合わせもつことが、実際に運用するためには必要なのだろうと考えます。

まとめ

仕事の納得感を保つためには

  • 自分が行動(作業や方針等)を決定するに至った情報を、他者が同程度に得られるようにする
  • 自己決定ブロセスの過程を妨げないように、行動の選択肢の提供や他者の意志を尊重する

それがあることで、受け取った側は決定者と同じ価値を想像しやすくなる。

もう少し言い換えると、他者の考えた価値を自分が考えたものと擬似的に捉えて行動をとれる。

自分のものとして考えて行動できるのであれば、内発的動機に近い行動となっていくのではないでしょうか。

おしまい。

プロダクトオーナー祭りに参加してきた。

なんで参加したの?

僕は単なるプログラマーで、今現在明確にプロダクトオーナーとしての役割で仕事していません。
ましてやエンジニアチームでリーダーの役割すらしてません。本当に単なるプログラマーです。
がしかし、僕が所属する会社の人数規模(10名程度)では全員が多かれ少なかれ、
プロダクトオーナーの役割とされる分野に関与しながらサービスを作っていると感じています。

なのでやっぱり関わるなら理解をしてやりたいな!楽しくやりたいな!と思うようになりました。
現状はこの手の本を読んで、自分の解釈を同僚に話してみたりするくらいです。(良き同僚が多く、色んな影響をうけて幸せです) 知識を増やすことというのは不思議で、今まで関心がなかった分野(僕はマネジメントとかあんまり興味なかった)にとっかかりをつくると、どんどん欲求でてきます。もっと多方面の意見に触れたい。これが一番大きかった。

といったまぁよくあるモチベーションの元、マネジメント関連の外部イベントに参加してきたよって話です。

プロダクトオーナー祭りって?

こんなイベントでした。 postudy.doorkeeper.jp

togetterはこちら togetter.com

どうだった?

正直世界を変えるのは俺たちだ!とまではまだ思えませんが、内容良かったです。(月並みな感想!笑)
セッションについてでもうちょっと感じたことまとめます。

セッションについて(覚えてるとこだけ)

新カゴプロジェクトのプロダクトオーナーとしてやってきたこと

GMOペパボ株式会社 カラーミーショップ
10年続いているサービス運用上の話、すでに顧客を確保しているサービスで改善を進める時にこんな風にやった、やってるよ。
という話だったと理解しました。

登壇者様のスライド公開されたので引用

www.slideshare.net

このセッションで頭に残ったこと(僕の解釈の結果です、100%登壇者様の言葉ではないです。)

  • 優先順位を決める時、根拠となるデータがあると判断が早い
  • プロトタイプを早く触ってもらえるフローを整備する
  • 動画のように、実際動くものによる表現が一番伝わりやすい
  • 視覚からの情報が8割と言われてる
  • 哲学駆動開発wwwww(なぜ作るのかってのをまず詩で表した?ちょっと聞き逃した。深く内容聞きたい)
  • ユーザビリティテストで、実際の社内テスト時にユーザ操作を全て動画にとってチームで議論の種にした
  • 完了条件は明確であればあるほど判断しやすい
  • 誰に確認をとるか?を迷う状況はいいことない

僕はこう思ったです

プロトタイプとして早く共有する、動画での共有をするとか誰がみても共通の理解度持てるように工夫してるんだなと思った。
言葉やワイヤーフレームだけみても、共通理解とならないで各々頭の中で補完する内容が違うこと実感してる。
誰が見ても近しい理解度を得るために、想像や感覚で補完させてしまう部分を少なくする努力大事だ。
僕の会社にて不具合報告の方法として、GIFアニ入れて報告をやった場合にチームの理解度があがる効果あったし納得感ある。

GIFアニ作る時に使ってるやつ blog.scimpr.com

あとPivotal使ってるって話の時に、◯◯APIを作ります。みたいな粒度で登録してる風に受け取れた話があったけど、Pivotalは依存関係把握しにくいと思っていて、それだと何かがブロックしてるのかとか見えにくくないか?◯◯APIが必要なことわかるけどそれができると要件ベースでは何が完了となってるの?という疑問がわいた。というかそういう壁を僕のチームで感じたことがあった。

そこで僕のチームでは要求ベースでのストーリーをPivotalに登録して、受け入れ条件として細かな粒度のタスクをいれることを試してる。
依存関係のない単位で登録と、見積もりをする方がわかりやすいと感じてるので、ここを登壇者さんと話してみたかったけど質疑の時間なかったのが悲しかったー。

僕のチームのPivotal登録例
f:id:nozayasu:20151128224807p:plain

メトリクスによる「見える化」のススメ:No 見える化, No 改善

抱えている課題に対して、その要因の深堀と現状の分類・数値化をすることで定量的な変化を捉えられるようにする。
要因と思われることの変化を捉えられるように数値を設定すると、解決するためのアクションをイメージしやすくなるよね。
ということを実体験するワークショップだったと理解しました。

登壇者様のスライド公開されたので引用

www.slideshare.net

このワークショップで頭に残ったこと

  • 人の感覚は正解がそれぞれあることを理解する
  • 計画外追加作業が、質の改善要求?仕様の誤認?不具合?何要因による追加作業か正しく把握する
  • コミュニケーション時間量と消化ストーリーに相関関係はあるかという疑問

このセッションで頭に残ったこと(僕の解釈の結果です、100%登壇者様の言葉ではないです。)

  • 追うべき数値は自分で作ることもできる。新しいものは提案者の思想がアンカリングになって提案者主導になる
  • 数値変化を見れるようにするというのはコミュニケーションの促進剤

僕はこう思ったです

仕事への納得感の保ち方、進捗管理の効率化、見積もり精度の向上、チームメンバーの些細な悩みを上手く引き出す。
似たような課題を皆感じているんだなというのがわかるのは妙な安堵感がある。
同じ課題を持つ第三者だと、つっこんだ話も関係性とか無視して気軽にできるのよかった。

僕はチームの課題に対して、定量的にみるための機能を整備するコストを払うには、結構厳格なする理由を持たないといけないかなぁって考えてしまっていた。 なので勝手に敷居を高く感じて提案するのが億劫になってた部分がある。

単にチームのコミュニケーションの促進剤だよって意味の解釈をできると、役立つと思うからこれ把握できるようにしましょうよ!って提案への心持ちが軽くなっていい。

とはいえ業務効率やらなんやらの改善専門部署を用意できるほど、規模感があるわけではないので地道に個人が片手間で扱える範囲でまず頑張ろうと思います。

最後に

余談として僕の友人が「祭」とかかれた半被を着て門番的に待ち構えていたので、心強かったです。
(来るとこ間違ったかな?と少しなったし遠くで見て、ふいた)
頑張ってたね、お疲れ様。また似たようなの何かあったら教えてね。

おしまい。

世界に1つだけの子育ての教科書を読んだ。6~10歳の子供を持つ親向けと感じたけど、参考になる考え方もあったよという話

目次

どんな本か?

行動分析学に基づく、子育てケース別対処方法の紹介。 問題ケースに対して、解決するための行動を対話形式で綴った本。

www.diamond.co.jp

行動分析学って?

行動分析学(こうどうぶんせきがく;Behavior Analysis)とは、バラス・スキナー(Burrhus Frederick Skinner)が新行動主義心理学をさらに改革し、新たに起こした徹底的行動主義(radical behaviorism)に基づく心理学の一体系である。歴史的には、フロイトユングらの精神分析学に対抗する形で発展してきた。 行動分析学とは字義通り人間または動物などの行動を分析する学問である。行動は、生物ができるすべての行動を対象とする。具体的には、独立変数(環境)を操作することで従属変数(行動)がどの程度変化したかを記述することによって、行動の「原理」や「法則」を導き出す。これを実験的行動分析(じっけんてきこうどうぶんせき;Experimental Analysis of Behavior)という。これにより、行動の「予測」と「制御」が可能になる。その成果は、人間や動物のさまざまな問題行動の解決に応用されている。これを応用行動分析(おうようこうどうぶんせき;Applied Behavior Analysis)と呼ぶ。 行動分析学の基本的な「原理」は、レスポンデント条件づけ(別名古典的条件づけまたはパブロフ型条件づけ)とオペラント条件づけ(別名道具的条件づけ)の二つにある。

行動分析 - Wikipedia より引用

んー、よくわかんない!と思ったし専門的に勉強してない人は同じ感想になるではと思うので、 僕がWEB上の情報を見て回って、ざっくりと解釈した内容も書きます。

解釈する上で一番参考になった資料 => 僕が考える行動分析学

この学問の概念

  • 繰り返し起こる行動に対する研究である
  • 繰り返し起こるっていうことは、とりまく過去または現在の環境による or 行動によって得られる効果が何かあるからと考える

応用として

  • 特定の行動をやめさせたいなら、その行動を起こす要因を取り除けばいい。
  • 特定の行動をさせたいなら、その行動を起こす要因を与えればいい。

という仮説ができるよね。じゃあ実験して色々確かめよう!
ってことをやっているんだなという理解でいます。
(あくまで個人的なざっくりとした理解です、ご容赦下さい。)

子育てに役にたつの?

僕は子供の想いを理解する時に役に立つと考えてます。

唐突ですが、普段我が子と接している時の僕の心の中の感情をあげてみます。
子供は本当に色んなことに興味をもって、色んな行動をするなー!
見てて飽きないなー!楽しそうだなー!嬉しそうだなー!
あーそれもどかしいなー!助けたいなー!教えたいなー!
あーそれはしてほしくないなー!わかってくれるかなー!
あぶないなー!やめてほしいなー!
あー、もう本当に可愛いなーーーーー!!!!
最後のは感情ですぎましたが、こんなようなこと接する時に心に浮かんできます。

産まれて来た時には、言葉を満足にだせない。
言葉がだせるようになっても、まだ意味を持った言葉はだせない。
意味を持った言葉がだせるようになっても、まだ会話はできない。
簡単な会話ができるようになっても、まだ意思疎通や言葉の意味をちゃんとは理解できない。
といった、段階を経てやっと言葉で意思疎通ができるように成長する。感慨深いですね。

いやまてよ、言葉は喋れないけど意思表現ってすごくするよな。
言葉ではない意思表現を、もっと汲み取ってあげる方法はないものかと思って興味をもったのが行動分析学です。
そしてそれを自分の子育てにも活かせないか考えてみることで、
我が子が何を訴えているのか、理解を深めたいと思っています。

僕はこう思ったです

ようやく本題の読んだ本の内容について、話しをしたいと思います。
ばーっと、一度目を通し切った時の感想はこれは幼児向けというよりはもう少し上の年齢向けだな。あんまり参考にならないかも。でした。
時間あけて次は子供をイメージしながら読み直した時に、
あ、やっと少しわかったかも。これは意識していきたいことだ。
と思えることが何点かあったので、そこについて深堀りしてきたいと思います。

暴力と暴言は一緒?

暴力について触れている章の中で、暴言も暴力と同等のものであると扱っています。
直接的に手を出していなくても、相手にとっては強いトーンで抑圧するように話すこと、強く机を叩くようなことも暴力に価する行動であるということ。
極端だなと人によっては思うのかもしれませんが、こう考えてから強く叱りたくなった時に我に還れることがあります。
僕は必要があれば叱ったり、いけないと思うこと教えたいけど、暴力をふるうことなんてしたいと思ってない。
暴言は暴力になり得る、このことは強く意識するようになりました。

じゃあどう叱るの?強くは絶対言っちゃだめなの?という疑問も浮かぶところではあるので叱り方や伝え方については、また別の機会に考えをまとめてみたいと思います。

行動は違うのに、求めるものは一緒?

本の中で直接こう話しているわけではなく、僕の解釈含んでいます。
子供の行動の変化に気づくことの大切さを知れました。
僕が自分に落とし込むために考えたのは、自分が料理や家事をしてる時のことです。

  • 泣いて近寄ってきた
  • おもちゃをもって静かに近寄ってきた
  • 遠くからこっちを見て、声をあげた

前段階として子供は一人で遊んでいます。
子供がとった行動は違います。けど最終的に子供が欲しい結果は、かまってということでした。 この中で一番心が僕も子供も苦しいだろうなぁ思うのは、泣いて近寄ってきたケース。
かまってもらうという結果を得るために子供は泣かないといけない。泣かないと気づいてもらえないという思考にさせてしまうのはとても悲しい気持ちになります。
泣かれるとさすがにかまってあげるのが親の性みたいなとこはありますが、子供にとったら結果を確実に得られる最終手段なんじゃないかなと僕は思います。
最終手段を出させる前に、気づいてあげれる心の余裕と観察力。持っていれるようにしたいなと思います。
何を求めてこうしてるのかな?と考えて接していくこと。大事にしていきたいです。

まじめに考えすぎない、子供は何度でも同じことをするものだと理解する。

過去に教えたこと、話したこと。それは関係なく、言ってしまえば子供であることも関係なく。
人は忘れる生き物で、ルールや約束毎を完璧に守り続けられるものじゃないと改めて思いました。

だからこそ反復することには意味がある。
何度だってするんだから、何度だって向き合う。
叱ることも、褒めることも。

最後に

最近子供を持ついろんな人と話してみたい欲が高まってます。
子育て中に漠然と感じてる不安やもどかしさをだれかと話すことでポイントに気づくこと多いです。
想いを話すと意見くれる友人が多いのも得してると実感するとともに、やっぱり子育てって皆多かれ少なかれ不安抱えてるんだなと思えました。
想いを話すのって大事ですね。聞いてくれる皆さん、ありがとうございます。

おしまい。

子供とテレビの関わりについて僕なりに考えてみた

目次

背景

最近周りに子供を持つ友人が増えてきたこともあり、家族同士で遊んだ時に子供にテレビを見せる?見せない?という話しをする機会が複数回あったんですが、どうしても自分の中にもやもやーとした部分が残ったので、ちゃんと考えてみることにしました。

自分はどうなの?

はい。僕は1歳5ヶ月(2015年9月現在)になる娘がいるんですが、ほぼ毎日一緒にテレビを見ています。 出かける前の支度中、家事中など子供一人でテレビを見させている時間もあります。 時間にすると1日合計で平均2~3時間程度は、テレビの付いている環境で子供を過ごさせてます。

なんで今まで見せてきたのか

正直なところテレビを見せることに対して良い悪いと考えたことなかったです。見せてはいけない理由を自分の中で持ってなかったので、子供にいないいないばぁ、おかあさんといっしょとか子供向け番組を見せてきました。夜にはバラエティ等も本人は見てないとしても、親が見るのでテレビが付いている環境下にはいることになります。なので特に理由もなくなんとなーく見せる派となっている状態です。

見せない派の意見として聞いたもの

  • 子供の成長に悪影響があるから極力小さいうちは避けたい
  • 両親があまり普段見る生活をしてない
  • 自分自身が小さい頃に見ないで育ってきたので、そう言うものだと思ってた

抱いた疑問

  • 悪影響って何?
  • 見せるのっていけないの?

テレビを見せることで受ける可能性がある影響って何?

今回抱いた疑問を、子供とテレビについて扱っている文章や記事から調べることを通して、自分の考えを整理することにしました。

ネガティブなこととして取り上げられている項目

  • 言語発達遅れのリスク
  • 視力低下のリスク
  • 運動能力低下のリスク
  • 危険行動の模倣
  • 一時的な性格の変化(暴力的描写->攻撃的になる等)

ポジティブなこととして取り上げられている項目

  • 教養の蓄積(見る番組によって多方面の分野になるけどひとくくりで)

調べてみてポイントだと感じた点

2004年度に発表された情報をベースとしたネガティブな意見と、最近の調査結果をベースとしたネガティブではない意見がある。
2004年度ベースの意見のなかで言われているのは、テレビを見ること自体が悪影響に繋がるのではなく長時間*1テレビを見ることが悪影響に繋がるということ。
最近の調査結果ベースの意見では長時間テレビをみていたとしても、悪影響の与えた原因とは断定できないとされている。
誰と、どのようにテレビを見ているかも重要。

結局テレビを見るって行為はどうなの?

テレビを見ること自体は必ずしも悪いことではない。

僕はこう思ったです

テレビを見るってこと自体は悪くはない。
けれどテレビを見る時間が長くなりすぎると、外で遊ぶ時間や他の刺激になる行動に使える時間は減ってしまうことになる。子供にとってテレビを見ることよりも、良い影響を与えるとされていることに使う時間が相対的に減少することが問題。

今後はどうしてく?

やっぱりテレビは今まで通り見せてくと思います。
けれど見せてる番組の内容や、ぼーっと眺めるだけみたいに表情がなくなってないかはもう少し気にしてテレビと付き合っていきたいです。

最後に

視力低下みたいな肉体的な問題はどうしても付き纏うなーと思うので、長時間になりすぎてないかは気にした方がいいかな?
とも一回考えましたがテレビを見ている娘を観察してると、長くても10~15分程度(ここの時間編集しました。嫁に30分もみてないと指摘もらったので)しかテレビに向かえていない現状でした。
なので現段階では、長時間に対することは気にしないことにしました。

なんか見せる派、見せない派って対立してる構図みたいにして話してきたけど、子供のためを思ってどっちも真剣に考えてるんだろうなーと改めて思えて良かった。 親はすごい。僕も頑張ってこ。
おしまい。

参考にしたもの

1.「子どもとメディア」の問題に対する提言
http://jpa.umin.jp/download/media/proposal02.pdf
2. 乳幼児のテレビ・ビデオ長時間視聴は危険です
http://www.hakujyuji.com/media-syounikagakkai.htm
3. 番組研究 - “子どもに良い放送”プロジェクト
番組研究 - “子どもに良い放送”プロジェクト | NHK放送文化研究所
4. テレビ、スマホとの付き合い方を科学的に知る(1, 2)
dual.nikkei.co.jp
5. 子育てとテレビ www.babytown.jp
6. The Good and Bad Effects of TV on Children www.raisesmartkid.com
7. 子供へのテレビの影響
allabout.co.jp

*1:長時間の定義は4時間以上テレビを見ていること。2時間程度が目安とされている